GOD_SPEED_YOU

ゲームの感想など

ウエストワールドの感想

エミー賞は『侍女の物語』の独擅場でしたね。Hulu勢としては喜ばしい。

 

 

ドラマ説明

 元は1973年公開の映画。『ブレードランナー』っぽいと思ったけど、その10年も前に公開されてる映画。知らなかった。

 

エログロあり

 制作元のHBOはエログロなんでもありの放送局として有名。この作品も例外ではない。たとえばいい感じの男女が二人きりになると行為が始まるし、腹を刺されればそこから血が流れる。あくまで演出がよりリアルってだけだけど、モロに描かれるので気にする人は注意。

 

舞台

 あるテーマパークの内外をめぐる人間ドラマ。そのテーマパークは西部劇風に創り上げられていて、ゆえにウエストワールドと呼ばれている。ゲスト(客)は旅人としてその世界に訪れ、自分の好きなように遊ぶことができる。イメージとしてはディズニー。保安官プレイもよし、ならず者プレイもよし、あるいはスタート地点から出歩かず酒と女だけ楽しんでも良い。リアルなロールプレイングゲームといったところだろうか。

 

アンドロイド

 そんなウエストワールド最大の売りは世界を構築するキャラクター、通称ホストである。ディズニーでいうミッキーとかドナルドとかそういうアレ。ただ普通と異なるのはその正体が着ぐるみではなくてアンドロイドだということだ。見た目は人間と見分けがつかないほど精巧にできていて、内部もまたプログラム通りとはいえ、フィードバックを受けて日に日に人間らしくなっていっている。このリアルなロボットの進化を巡る話である。

 

籠の中の鳥

 人間そっくりといえども所詮ロボット。ただの便利アイテム。脚本家に与えられた役割を忠実にこなす彼らを、運営もゲストもモノのように扱う。モノはゲストを怪我させない仕様になっているし、外の世界のことを知る必要もない。損傷や不具合が発生したら回収され、再調整の後に再び園内に戻される。犯されては戻され、殺されては戻され、そのループ。見た目は人間そのものなのに。

 

世界に対する疑問

 記憶も感度も感情も人間のコントロール下に置かれる彼らだが、ある時世界に疑問を持つ個体(ドロレス)が現れる。彼女にだけ聞こえる正体のわからない声が警鐘を鳴らすのだ。そんなある日、彼女はあるゲストと出会う。そのゲストもまた自分の知らない自分を知りたがっていた。そして2人はウエストワールドの果てへ自分探しの旅に出る。

 園外ではウエストワールドを管理運営している人たちの物語がある。犯罪行為で溢れている園内よりもずっと殺伐としていて、その対立の余波はウエストワールドにも及ぶ。

 

雑感

 よくある人間とロボットを対比させた、人間らしさとは何かを問う作品なんだよね。けれどこの作品は安直な情緒論では終わらない。人間賛美も卑下もない。真理の追求を諦めない姿勢がある。まずそこが気に入った。

 終始緊張感があって気の緩むポイントがない。盛り上がりも少ない。難解なテーマのもとで、回りくどい言い回しや名言の引用が多用される。知的好奇心を刺激する、まあ意識高い作品なわけだ。まったく前知識なしに読んだ哲学書のようだった。総括して語るのは1回読んだだけでは難しい。けれど要所要所で引っかかる言葉があって、妙に考えさせられた。それこそ作品内でも語られる感動のエッセンスなのかもしれない。この記事は7月に殴り書きしたものを9月に推敲して公開したものであるが、感銘を受けたシーンは今でも覚えている。

 

 

印象に残ったシーン

感動について

 もっとも印象的だったのが、新たに発表されたシナリオを創設者のフォード*1が冷たくあしらうシーンだ。新シナリオとはゲストが楽しむ新たなロールプレイングプレイのことで、彼が発表したのはよくあるRPGゲームのようにプレイヤーが勇者となってウエストワールドを冒険するというものだった。迫りくる敵を倒す。道中で仲間を集める。最終的にボスを倒す。ありふれていて陳腐、だが王道で面白そう。けれどフォードは客はそういうの求めてないと切り捨てる。なぜならそのシナリオには作り手の意図が見えるからだという。フォードは続けて客はそうしたわざとらしいアイコンよりも、自分が見つけた小さな発見を愛すると言う。

 これがどういうことかというと、つまるところ感動というのは、人に与えられるものではなく、自分で気づくものであるということだと思う。すべて感動は自分というフィルターを通して初めて表れる。ドラマを観るにしても、本当に観ているのはドラマではなく「ドラマを観ている自分」なのだ。

 といった趣旨のやり取りが行われるのがこのドラマだ。フォードの言葉を聴きながら、俺はどうだろう…とやはり自分のことを考えた。

 

つくられた人たち

 もう一つは『アダムの創造』について語る、これもまたフォードのシーン。『アダムの創造』とは『創世記』において神が最初の人間を創造したシーンを描いた、16世紀ミケランジェロの作品である。この絵に描かれた神の背後には脳のようなものがある。これは解剖学的にも正確な形をしているといわれている。神は脳内にしかいないということを暗に意味しているのではないかといわれている。

アダムの創造 - Wikipedia

  このシーンはかなり終盤(…というか最終話)であり、ここに至るまではどちらかというとアンドロイドの人間らしさ(いかに人間に近づいているか)が主に描かれていた。『アダムの創造』は、そんなアンドロイド側から人間に対する「お前たちはどうなんだ?」という人間批判がいよいよ極まったシーンであるといえる。これを人間のフォードが語るというのが面白い。彼の考えは最後に明らかになる。

 エログロはともかく宗教まで突っ込み出したのは驚きだったね。

 

 

おわりに

 どこにいっても「人工知能」の時代よ。今でこうなんだから数十年後にはもっとすごいことになってるんだろうね。ウエストワールドもそうありえない未来じゃないんだよね。だからリアルだし、他人事のように感じない。人工知能の発展はいかに人間らしく、ということばかりが取り沙汰されるけども、逆にいつになったら私たちは人工知能に歩み寄れるんだろうね。この作品でモノのように粗末に扱われるアンドロイドたちを観るのは正直つらい。ドラマだから誇張されているところもあるんだろうけど。動物だろーとロボットだろーと相手の嫌がることをしないことだね。

 

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*1:演じるのはレクター博士で有名なアンソニー・ホプキンス。絶対裏がある人物なのだ。