『俺の人生』に思うこと
自殺配信があった。
自殺配信というと、ロープを首をかけてまさにこれから死ぬ瞬間を撮った生配信が以前にあったけども、今回は事後、遺体が発見された瞬間を配信したものだった。発見者は当事者の親で、「親フラ」の範疇に入るだろうが、それにしては悪趣味すぎる。
自殺したのは自称中卒ニートの28歳男で、配信の理由について、ブログでは以下のように書いている。
あと配信した理由ですけども、
その配信も、自殺配信というよりは、息子の自殺死体を見つけたお母さんの反応配信ですけども、
何故そんなことをするのかと言えば、
1つにはこの俺のホームページを宣伝したいという思いがあって、
このホームページは俺の人生が書かれているんだけども、
誤字とか脱字とかは知らないです。
もう1つには、俺の人生は孤独な人生だったから、
死ぬときくらいは1人は嫌だなと思ったんです。
…はい。
それで、自殺配信だと、5年くらい前にもあったからインパクト薄いだろうし、
それにすぐBANされて、配信停止になるかもだから、
そういう理由でお母さんを驚かせる放送にしたんです。
平たくいえば、自分が生きた証(ホームページ)を残すため、インパクトのあることをしたかった。しかし生配信だとグロ的な理由から途中で配信が強制停止される可能性があるので事後配信のような形をとった。実際この方法がうまくいってそこそこ話題になった。
彼がネットに残したのは以下。
- 自殺後配信…親フラ
- ツイッター
- ブログ
- 『俺の人生』
- kakikomi.txt
①自殺後配信
遺体を発見した母親の様子が録画されている。発見から嗚咽・警察への通報まで。母親は録画されてるとはまさか思っていないだろうし、そこにあるのは純粋な心情の吐露である。後で触れるが、この息子は母親への反抗心を持っていて、第一発見者が母親になるようにしたのも、その様子を配信しようとしたのも、すべて当て付けである。しかし、この憎まれ役の母親のとった対応は、(適切な表現ではないだろうが)模範的といってもよく、子供を想う親の愛情を感じるものだった。だからこそ痛ましいのだけど…。
※あえてリンクは貼らないでおくが、検索すればすぐに見つかる。
② ツイッター
→だるま (@hikikomori0000) | Twitter
2015年1月に開設し、そこから死ぬまで4969件つぶやいている。これは日6~7件のペースである。ネット界隈で気になったことや、ブログの更新告知、たまに2chのノリで、ヘイトっぽいことも吐いている。態度は2chとブログの中間のよう。決行直前まで投稿している。
緊張してきた。23時40分位に行くの。
— だるま (@hikikomori0000) 2016年9月29日
今日こそは頑張るの。
本来は前日に決行予定だったらしいがうまくいかなかったようだ。
ああああああああああああああああああああああああああああ、人生で一番緊張してるかも。でも緊張感があるからこそ、成功するのかもしれない。衝動的にやって失敗するよりかは良い。
— だるま (@hikikomori0000) 2016年9月29日
…もう、このツイッターは更新しません。
— だるま (@hikikomori0000) 2016年9月29日
見てくれた人がいるのかどうか走らないですけども、
今までありがとうございました。
このツイートが最後だった。ここから自分との対話が始まり、予定通りならこの10分後に逝った。
③ブログ
2015年10月20日、はてなブログに開設した。一番最初の記事で
2ちゃんねるにも飽きて、ツイッターには長い文章をかけないので、なんとなくブログを開設しました。とにかくこのブログに、言いたいことを書きたいと思います。でも、ツイッターはやめません。それで、用途を考えなければいけませんね。このブログのね。う~ん。ツイッターはフリーで、このブログは、俺の一日でも書くかね。ご飯は何を食べたとか、そういうの。あとまあ、日頃思ってることでも書くかね。
と書いている。このスタイルを文字通り死ぬまで貫いた。内容は、「歯を磨いた」とか「夕飯は○○を食べた」という日記というより記録に近い記事と、ネット界隈で気になったことについて書いた記事の2パターンに分けられる。すべてを見て回ったわけではないが、ツイッターに比べて物腰柔らかで、穏やかな人物という印象を受ける。
途中でFC2ブログに引っ越したが、内容に大きな変化はない。今確認したところ、ギリギリまで更新していたFC2ブログのほうは凍結されてしまったようだ。
④俺の人生
→俺の人生
その名のとおり、自分の人生について書いている。
初出は8月28日のツイート。決行の1か月前。
今俺ホームページ作ってるの
— だるま (@hikikomori0000) 2016年8月28日
俺の人生https://t.co/rJB5lkWULZ
このホームページが完成したら旅立つんだ。
このように最初から自殺をほのめかしている。
また、このホームページではハンドルネーム(だるま)ではなく、本名を名乗り、顔まで公開している。
これは、FC2ブログに引っ越して3回目の「自己紹介」という記事の中で、
名前とかは書きません。身バレ怖いし。
と書いてあることから、相当の覚悟、もしくは吹っ切れた気持ちがあったのだと思う。
『俺の人生』はすべてイチから書いたわけでなく、一部はすでにブログに書いてあることを流用している。 また、自分だけでなく、親、兄弟、友人、幼馴染まで可能なかぎりすべて実名で書かれている。性質としては告発文に近い。
⑤ kakikomi.txt
専用ブラウザを通して2chに書き込んだときに生成されるのが「kakikomi.txt」である。ようは2chの書き込み履歴であり、たまに振り返って懐かしんでみたり頭を抱えたりするためにある。
そのkakikomi.txtが12分割されて『俺の人生』の終盤に貼り付けられている。主に雑談系板に住み着いており、少しみただけでも、相当な煽り屋であることがわかる。現実なら「反社会~」のような烙印を押されてもおかしくないような荒らしっぷりである。
書き込みについて、「全てがマジレスでもない」と付け加えているものの、逆にいうとマジレスも混じっているということだ。ツイッターやブログでも頻繁に2chの話題があがることから、彼の中で2chはかなり重要な位置を占めていて、思想や気分に大いに作用したことだろうと思う。
抑圧された人生
話は変わるが、最近ザ・ワイヤーという海外ドラマを観た。ギャングとそれを捜査する特別捜査班とそれを取り巻く環境を描いた本格社会派ドラマなのだが、そのシーズン4の内容と『俺の人生』が重なってみえる。
ザ・ワイヤーは圧力をリアルに描いており、シーズン4では、ギャングが跋扈するストリートで生まれた子供たちに焦点を当てている。彼らは自らが生きていくためにストリートに立ってギャングの手伝いをする。そして①ギャングからの圧力を受ける。家に帰ると②親からの圧力を受ける。また③友人同士でもうまくいかないことがある。こうした圧力が徐々に彼らの精神を抑圧していく…という内容だ。
大抵、心の休まるところといったら我が家なのだけれども、ドラマでは、そうではない子供たちが取り上げられている。『俺の人生』の「俺」もそのような環境で育ってきた。
「俺」は4人兄弟の末っ子で、一番上の姉とは12も離れている。それに8歳差の長男、5歳差の次男と続く。
父親は昼間働いていて、母親は「俺」が小1のあたりからパートで働きだした。
中学生で不登校の長男と親との衝突に震えることはあっても、その長男*1とは仲が良かったし、
小学校3年生くらいまでは普通に楽しい小学校生活でした。
普通に放課後とかでもクラスメートと遊んでいたし。
とあるように、小3までは比較的楽しく過ごしていたようだ。
しかし小4になると風向きが変わる。最新ゲームを買ってもらえないこと、お下がりの服、さらに6畳2間の平屋の自宅が気になりだした。貧困に劣等感を抱くようになったのだ。貧困を隠すために意識的にクラスメイトと距離をおくようになり、それがコミュ障を加速させた。
家庭では2つの事件が起きた。母親がパートから正社員に昇格し今まで以上に家を空けるようになったことと、中学校に入学した次男が、中学を卒業して引きこもっていた長男と対立し「家庭内冷戦」状態になったことだ。特にひどかったのが「家庭内冷戦」で、テレビをみても笑えないほどにピリピリしていたという。
○さんが中学校に進学した1996年位から家の雰囲気が悪くなって、
それからは、例えば○さんが家にいるときは、テレビを見ても声を出して笑うこととか出来なくなったんです。
なんというか、感情を表に出すと、気まずい雰囲気が流れるんですよ。──俺の人生より実名は置き換えた
孤独な学校生活、家に帰っても安息はなく、救いの親も働きにでている。小学4年生が孤立した。この孤立は死ぬまで続いた。
親との確執・環境のせい
この独白を読んで第一に気になることは、両親を父さん母さんではなく「名前+さん」で書いてあることである。
『俺の人生』冒頭で
これ、俺が悪いんですかね?
そりゃーね、「親は悪く無い。引きこもりになったの責任は全部お前にある。」みたいなこと言って、
俺の事を責める人はいるのはわかるけども、
でも、認めて欲しいのは、俺の育った環境は滅茶苦茶悪いってことなんですよ。
と述べている。つまり、俺がこうなったのは環境のせいだという。こうした点から「名前+さん」呼びは、その環境を構成する一要素であり招き入れた原因である両親への当て付けだと考えるのが自然だろう。
しかし両親と深刻な対立があるとかそういったことは『俺の人生』を見る限りない。自殺配信も含めて浮かび上がるのは、親を一方的に毛嫌いする子どもと、無償の愛を与える母親といった構図である。
それを象徴するのが「離婚した父が帰ってきたことをきっかけにアクションをかけてきた母とのエピソード」だ。かいつまんで言うと、2010年1月くらい(22歳くらい?)のとき、離婚して出て行った父が突然帰ってきて母と何か話をした。その後に母が頻繁にアクションをかけてきてウザかったというエピソードなのだが、「ごめんね。ごめんね」と泣き崩れる母を全力で拒否する22歳の「俺」と、それを淡々と綴る28歳の「俺」に尋常ならざるものを感じた。
その後も母親に対する反抗は続いていくのだが、おかしいのは決して「母親に原因がある」とは書いていないことだ。
イライラの原因について
…それで俺のイライラの原因は、
セックス経験なく死んでいく自分の惨めさに気が付いたからです。
はい。
と書いているが、彼は早いうちに特殊な自慰行為を覚えてしまったがゆえに、2004年の雑誌(16歳?)をオカズにして以来、自慰行為どころか勃起すらしてないという。そんな彼が自慰どころかセックスについて深刻に考えたかどうか疑問である。
親と向き合うことを意識的に避けているよう。
『俺の人生』に思うこと
「すべて『誰かのせい』にしようとしている」という批判を聞くけども、それよりも、コミュ障からくる駆け引きの下手さなのか、全体的に漂う取引臭と、他人に影響されやすい感情的な部分が気になった。
『俺の人生』の最後を締めくくるのは、
「お前の人生意味なかったな」
という母親に向けたメッセージであるが、これは2chであった
相手「お前死ねよ。」
おれ「俺もうすぐ生きるの辞める予定だから良いよ。」
相手「じゃあ母親に、お前の人生意味なかったなって伝えてくれよなw」
おれ「わかった。ホームページに書いとく。」
というやり取りを引きずったものである。このやり取りがあったことについて、母親云々教育云々と書き連ねているが、換言すると「君のレス、ノーダメージだけど?」というものだ。これは今まさに人生を振り返り筆を置こうとする男のする反応ではなく、ノーダメージどころかクリティカルヒットしているようにみえる。もしこのやり取りが最後の一押しになったなら、その動機となったのは感情で、その感情を刺激したのは母親というワードだった。
幼い頃からのネグレクトが尾を引いているという印象だ。悲しいのは、母親は決して愛情がなかったわけではないことだ。ただ生きていくために働かなければなかった。親がいない家の中は歳の離れた兄弟が時間差で思春期に突入し、常に落ち着かない空間だった。
kakikomi.txtの彼、つまり2chでの彼と『俺の人生』やブログでの彼は別人みたいだ。
2chでの彼は感情剥き出しのモンスターのよう。抑圧された感情、親にもみせられない感情が、誰にも縛られない匿名ネット空間で爆発している。
一方、ブログでの彼はとても穏やかで、ある事柄を取り上げるにしても賛成反対どちらの意見も取り上げる良識人だ。思うに、彼は人一倍影響されやすいところがあったのではないか。それが剥き出しの感情からくるものなのか、ビクビクする警戒感からくるものなのかは分からない。
彼の環境を形作った要素の1つに「貧困」がある。彼も強調しているように、貧困というと、つい経済的な面ばかりに目がいきがちだ。けれどもそれ以上に精神的な面への影響が大きいと思う。
「俺」が友達と横並びになるのは恐れ多い。貧困は恥ずかしいからだ。そうした劣等感が友達と深い関係になることを恐れる感情を生み、それがコミュ障に拍車をかけ、人生の決定的な欠点となる。
また共働きの場合は、親からの愛情を受けられる機会が少なくなる。『俺の人生』によると、母親が正社員になってからは、昼から深夜まで働くようになったという。愛情を受けるどころか顔を合わせることすら少なかったようだ。近年、望むと望まざるにかかわらず共働きが推奨されているけども、子供と接する時間についてはあまり考慮されていないように思う。じゃあ、働く環境をなんとかしましょうよ、といっても簡単に解決する問題ではない。それよりも、彼のような存在に気付く(できれば引きこもる前に)周りの目が必要だったと思う。
という同情的な思いと同時に、愛情の器を持たない者を相手する面倒臭さも感じた。親類とか、隣人同士ならともかく、優しさを純粋に受け取れない相手に、自分の時間を捧げて救い出してやろうという奉仕の精神。果たして持てるだろうか。
淡々と綴られる人生録に対する私の反応も淡々としたものだった。一読して思ったのは「へぇー大変だね。俺はガンバロ!」って気持ちだった。人が沈む瞬間をみて、元気がでたのだ。
今確認したところ『俺の人生』も凍結されたようだ。彼の生きた証は一日で消えた。あーあ長文書いてゲームする時間なくなっちゃった。
*1:「俺」が小5のとき自殺した。小さいころによくつるんでいたが、徐々に精神を病んでいった彼を嫌いになっていたのでそれほどショックではなかったという。