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ゲームの感想など

みなみけ二期


 最近の楽しみはAbemaTVで絶賛放送中の『みなみけ』シリーズ。平日、深夜の部(2:00~)と夕方の部(17:00~)があってそれぞれ2話ずつ放送されている。深夜の部を観てから眠りにつくのが最近の習慣で日々を生き抜く活力になっている。二週間くらい前から放送が始まっていて、今はいろいろといわくつきの二期の終盤で、明日は二期最終話と三期一話の予定だ。


 さて、この二期だが、なぜいわくつきかというと、一言で言ってしまえばクソだったからである。ネットで『みなみけ』の話題になると必ず二期の話になる。二期の話は、もはや叩きを通り越して定番ネタになっていて、『みなみけ』ブランドに一生消えない傷跡になっている。そもそも活発なコミュニティがないので再評価の議論も生まれず、時間の流れとともに駄作という評価が確固たるものになった。自分としては、二期に対してそれほど悪い印象がなく、むしろ好きなシリーズを叩かれているということに対して憤りを感じ続けていた。

 そして今回のAbema放送である。


 一期が始まったときから、相も変わらずコメントで二期のことが話題になり、悶々とした気持ちとなったが、同時に、再評価のきっかけになるかもしれないと期待する気持ちもあった。

 

 で、二期が始まったわけだ。また複雑な気持ちになったわけだ。

 

 二期を評するときに、 「つまらない」ではなくて「ひどい」と言われる。「面白い」は「ひどい」の反論にはならない。「ひどい」の反対は「ひどくない」。改めて二期を観て「ひどくない」と言い切るのは無理だと感じた。よって「ひどい」という評価をひっくり返すことは不可能。


 ひどい点として良く挙げられるのは、①キャラデザの不気味さ、②設定の改変、③邪魔なオリキャラの存在、④背景や脚本など、全体的に漂う暗さなどがある。逆にいうと、これらがあるからひどいと言えるわけで、これらの要素がなければ普通におもしろい。だから、まるっきり嫌いにはなれない。自分が言いたいのは、ひどい部分もあるけど、すべてじゃないよねってこと。
 低評価であふれているなかで中点をとっているのだから、普通以上に好きな部類。だから二期の話になったときには、「自分は好き」と言うようにしている。

 

 ところで、二期では上で挙げたようなひどい点が明らかになっている。それは汚点として、作品から排除すべきような代物である。それが遠慮なしに主張してくる。目を覆いたくなるような光景。だけど目が離せない。なぜなら関心を持ってしまったから。まるでサスペンスドラマを観ているような気持ち。刃物で手を切れば血が流れるように、ひどい改変には、ひどい感想が待っているものなのに、それを無視して突き進む。愚かさと勇敢さは紙一重というが、そうした気持ちを平和的な日常系アニメで感じられるとは。

 

 二期をあらわす象徴的な人物としてフユキというオリジナルキャラクターがいる。薄っぺらな人物像に反して、どこから語ればいいか迷うほどの邪悪な逸話を持つ地雷キャラである。

 どうしたらコイツを擁護できるかと考えてみた結果、四つの方法があることに気付いた。もちろんコイツが消えることが一番なのは言うまでもないが、もっと現実的に考えてみた。


 一つは、登場時間を減らすことだ。第二か三話くらいから登場してくるわりに、退場時のカタルシスがクソほどにもないというのが問題の一つであり、ならば、クソほどのカタルシスにふさわしいクソほどの登場時間だけ割り当てようという話だ。


 二つ目、オリキャラを増やす。木を隠すなら森に。オリキャラを隠すならオリキャラに。ただ、これをやってしまうと、もはや別のアニメになってしまうな……。


 三つ目の方法は、性格を変更することだ。制作がフユキを登場させたのは、既存の登場人物が彼から影響を受けて変化していく・成長していくという人間ドラマを描きたかったからだと思われる。実際、真面目で根暗なフユキくんは、周りの人々に影響を与えるのだが、真面目バイアスがかかっていて、それがシリアスに振れる要因になり、作品もそれを観た視聴者もピりつかせた。だから逆に、ギャグっぽい方面に振れるような、明るくて可笑しなキャラだったらよかった。もしくはほんのアクセント程度の変人キャラとか。


 また別の方法として、そしてもっとも効果的だと思われるのは、性別を変更することだ。フユキ「くん」がダメだった。フユキ「ちゃん」ならよかった。主要キャラほとんどが女性キャラなことからわかるように、もともとは男性視聴者(読者)が主なターゲットである。男性キャラも登場するが、どれも変人だったり運が悪かったりしてネタキャラ扱いになっている。シリアスな男性キャラは視聴者自身が妄想で作り出すべきで、本編には不要だった。フユキが女性キャラだったら、視聴者の席も守られるし、ヘイトもたまらない。まあ、存在意義は問われるだろうけど、そうした意見は制作に向かい、むしろ不憫な子としてマニアから人気が出るかもしれない。男のままでもイイヤツだからといって、擁護してくれる人がいるのだから、より抵抗の少ない女キャラなら一層増えるだろう。

 

 以上は戯言だが、四つ目について思うことがある。それは男と女の区別についてである。今の時代LGBTを知らないのがあり得ないぐらい、性に対して寛容になっている。しかし『みなみけ』では、男らしさ、女らしさといった性差別が公然とまかり通っている。「差別」はオーバーな表現か。無頓着が正解。子供らしい無邪気な無頓着。これは作品の性質とは別に、自分がそういうニュースばかり目にするから気になってしまうのだろう。当時は何とも思わなかった。だけど今は感じる。まさかこんな、男だの女だのこだわっているのに歴史を感じるとは思わなかった。
 時代の変化のスピードは相当なものだ。と言ってる間に今年もあと半月。本当にまいる。

 

 

 フユキが早期退場したのはクレームが多かったからとか、EDのトンネルを抜ける描写は洞窟の比喩だとか、考察するにはなかなかおかしい作品である。さすがみなみけ、ただではやられない。